マリーアントワネットが、ルイ16世にせがんで、サブロンの野で競馬したそうだ。ブローニュの森の北、今もメトロ1号線にその名が残るあたりなのだろう。すぐに、ヴァンセンヌでは、競馬が行われたようだから、あの王妃こそ、フランスの近代競馬の母かも知れぬ。
大発展時代といえば、ナポレオン3世とモルニー公兄弟時代であろう。パリ大賞は、これらの人々によってはじめられ、モルニー賞というドーヴィルのG1にも、その名を留めている。
このときの知事が、オスマンである。 花の都パリを今の形にした人である。これらの人々によって、今の華やかなフランス競馬の流れが、決定付けられたのだろう。ドーヴィルもこれらの人によって、競馬場ができたのだ。
男と女という映画があるが、ドーヴィルとパリが改造、開拓されていなければ、ありえない映画だったのかもしれない。
欧州では、競馬そのものの背景が、貴族文化である。
日本は馬匹改良という軍事から競馬が発達しているが、こちらは、貴族どうしの自慢が発端である、優雅である理由はこんなところなのだろう。有名な競馬場は、大抵、避暑地、お城、などがセットであったりするのもこのためだ。
歴史といえば、日本でも導入されているかけられた金額によって、オッズの決まる、パリミュチュエル方式も、フランスで19世紀に始まった。
競馬をしたことのない人は、競馬=一家離散、家財喪失、ギャンブルというイメージの人が多いのだろう。
フランス人でも、競馬=ギャンブルという図式は変わらない。
しかし、この競馬というものの背景は日本とフランスではかなり違う。競馬はヨーロッパで文化の一つとして定着している証左に、この世界で働く人々が、日本ほど、特殊な職業として見られていないこと、普通の女の子が馬のお世話をしていたりすることなどもある。
女性ジョッキーもずいぶん多い。
古ければいいというわけではない。凱旋門賞は、そんなに歴史があるわけではない。創設1920年。速歩の大人気世界一決定戦レースのアメリカ賞と凱旋門賞は同い年なのだ。